宗教朝礼 4月22日

おはようございます。宗教部、ミドルのNです。週末は初めて土日が休みで、やっと少しは落ち着いてきました。しかし新学期が始まってから今まで、何とも忙しい慌ただしい日々でした。私も記憶に残るほどの忙しさでした。吐き気を催すような、そして心が折れてしまいそうな思いにも正直になりました。私は常日頃、人には愚痴りたくないと思っていますが、それでも、T先生、大変なんですと、言いたくもなってくる。今、確かに愚痴りましたね…。ただ私は思う。自分の忙しさを、慌ただしさを、引き受けることも、時として必要ではないかと。人は何か事を行おうとすると、忙しくなる、慌ただしくなるのです。そもそも、第一志望の学校に受かって、忙しくなかったような受験生を私は知らない。

よく言われることですが、忙しいとは、「忄」りっしんべん、つまり「心」を亡ぼすと書きます。慌ただしいとは、心が荒れると書く。ですから、心を亡ぼしたり、心が荒れてはいけないのですが、どうしたら忙しさ・慌ただしさを引き受けることができるのか。私は思います。忙しいと思っている自分ではない、もう一人の自分を見つけることです。よく「余裕がない」と申します。余裕がないとは、この「もう一人の自分」を見失うことです。忙しい時にこそ、もう一人の自分を探すのです。内なる自分を磨くのです。それは祈りと言ってもよい。時間がない時にこそ、長く祈るのです。心の深いところで神と向き合うのです。そして神の声を聴くことではないか。

聖書を通じて、こんな神様の声が聞こえてきます。

「人間の心は自分の道を計画する。主が一歩一歩を備えてくださる。」(箴言16章 9節)

「だから、明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である。」(マタイによる福音書6章34節)

「あなたがたを襲った試練で、人間として耐えられないようなものはなかったはずです。神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます。」(コリントの信徒への手紙一10章13節)

「主において常に喜びなさい。重ねて言います。喜びなさい。 …主はすぐ近くにおられます。どんなことでも、思い煩うのはやめなさい。何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい。そうすれば、あらゆる人知を超える神の平和が、あなたがたの心と考えとをキリスト・イエスによって守るでしょう。」(フィリピの信徒への手紙4章 4節~6節)

そして「思い煩いは、何もかも神にお任せしなさい。神が、あなたがたのことを心にかけていてくださるからです。」(ペトロの手紙一5章7節)

私たちの神様が全力を傾けて、独り子をお与えになられる程に、私たちのことを心にかけてくださるのです。

昨日はイースター、復活節でした。死の力に打ち勝たれたイエス・キリストが、私たちのことを心にかけてくださる、導いてくださるのです。

その方に全てを委ねて、前を向き、明るく、つぶやかず、思い煩いを全て捨て、喜びをもって、感謝しつつ、歩んでいきましょう。神が、「逃れの道」を備えてくださる、そうです、私たちのことを、心にかけておられるのですから!

それでは立って、私たちの思い煩いを全て受け止めるくださる、イエス・キリストが教えてくださった、「主の祈り」を祈ります。

祈りの姿勢をしてください。
「天におられる私たちの父よ、
み名が聖とされますように。
み国が来ますように。
みこころが天に行われるとおり地にも行われますように。
わたしたちの日ごとの糧を今日もお与えください。
わたしたちの罪をおゆるしください。わたしたちも人をゆるします。
わたしたちを誘惑におちいらせず、
悪からお救いください。アーメン」 「聖マリア、私たちのためにお祈りください」。