放送朝礼 10月7日

定期考査が終わり、先週は答案が返却されました。そして、今週は前期の成績表が配布されます。皆さんの頑張りが良い結果を生んでいるといいですね。後期を迎えるあたって皆さんの次の目標は何ですか。目標とは目的に向かう途中にある目印です。その目標は、皆さんが成し遂げようとする目的に近づくための本当の目印になっていますか。そして、遠いかなたにある、皆さんが成し遂げようとしている目的をいつも見失わずに進んでいますか。

今朝のお話しは、「十字架を背負う」です。

先日のミサで神父さまが「十字架を背負う」ということについて話されました。一般的に、「十字架を背負う」とは、とても辛い苦しみや自分に課せられたこと、或いは犯してしまった罪を、生きている間一生持ち続けることのたとえとして、用いられています。私もそのように思っていました。しかし、神父さまによれば、キリスト教的な意味合いでは、異なっているというのです。

聖書のことばに、「自分の十字架を背負ってついて来る者でなければ、だれであれ、わたしの弟子ではありえない」(ルカ14・27)とあります。わたしというのは、イエスです。自分の十字架を背負って来る者でなければ、イエスの弟子ではありえないということです。イエスは、死に至るまで神さまの愛を示しました。神さまのみ旨をこの世で示す手段が十字架だったのです。

私たちには、それぞれの人生の使命があります。その使命を成し遂げるためには多くの苦難を伴うことでしょう。これが私たちにとっての十字架です。イエスは、「あなたにとっての十字架が何であるかを腰をすえて考えなさい。そして、それを背負って私についてきなさい」と私たちに問いかけているのです。

私は、十字架を眺めては、自分の使命とそれを成し遂げるために乗り越えなければいけないことを考えるようになりました。そして、成し遂げられると信じて進めるようになりました。皆さんも目の前にある十字架を眺めながら自分の使命、自分の生きる目的を考えてみましょう。

私たちに使命を与えてくださる神さまは、使命を果たすための力も必ず与えてくださいます。自分の使命を忘れず歩めるように、祈りましょう。