放送朝礼 12月9日

先週末は、本校創立70周年の記念ミサが挙行されました。皆さん、ミサに参加して何を感じたでしょうか。

ミサのはじめに、簡単に学園の歴史を振り返りましたが、改めて感じたのは、「いま、ここに、あるということは実に神秘的なことだなあ」ということです。私たちは、静岡サレジオが今、ここにあることを当然のことと考えます。でも歴史を学ぶと、当然ではなく、むしろ奇跡だったということが分かりましたよね。というのは、東京の子どもたちの安全な疎開先を探していたシスター・レティツィアですが、全国各所にお手紙を送ったのに、全然反応がなかった。それでも諦めずに、諦めずに、手紙を出し続けたら、ようやく一通の嬉しい手紙が届いた。「狭い場所ですが、子どもたちのためなら喜んで。」それが清水のカトリック教会の神父様からのお返事だったのですね。もし、このお手紙がなかったら、子どもたちもシスター方も東京から来なかったはずです。シスター方が東京から来られなかったら、静岡サレジオは存在していない訳です。静岡サレジオが存在していなかったら、私たちの「今」は全く違ったものだったでしょう。そう考えると、ドラエ神父様の「狭い場所ですが、子どもたちのためなら喜んで」という、その一言のもつ重みを痛感します。

もう一つ大事なポイントがあります。それはシスター・レティツィアが、信じて、祈り続けていたことです。いつも子供ファーストの原則を貫き、神さまにその子たちの無事と安全と幸せを委ねていました。戦時中ですから、大変なのはどこも一緒です。たくさんの子どもを預かると一番に食費がかかりますから、誰だって簡単にどうぞとは言えません。嬉しい返事が来ないのはある意味当然でした。それでも、シスターは諦めませんでした。全国各地に手紙を書き続け、お祈りを続けました。神様を信頼して、人びとの善意を信じて。嬉しいお返事を受け取るという奇跡が起きるまで、絶対に書くことをやめない。そんなシスターの強い意志が、奇跡を起こした訳です。

イエス様の山上の説教に、有名な一節があります。「求めなさい。そうすれば与えられる。探しなさい。そうすれば見つかる。門を叩きなさい。そうすれば開かれる。」まさにこのイエス様の言葉のとおり、静岡サレジオはスタートし、ついには今年70周年を迎えました。ただ祈るだけじゃなく、ただ行動するだけでもなく、祈りと行動の両輪がかみ合うことの大切さを思います。そのとき、求めたものは与えられ、探したものは見つかり、門は開かれ、多くのお恵みに導かれた「今」があるのです。

今年も残りわずかとなりました。私たちもシスター・レティツィアの模範にならい、それぞれの目標に向かって、あきらめずに門を叩き続けましょう。門は必ず開かれます。