放送朝礼 11月16日

おはようございます。今朝は、カレッジステージ12年E組担任のYがお話しします。11月のこの時期から12年生は大学入試が本格的に始まります。総合型選抜や学校推薦型選抜で受験している人は、今が大詰めです。また、一般選抜で受験する人は、1月の大学入学共通テスト、その後の私立大学の入試、国公立大学の2次試験と続く長丁場のまっただなかにいます。この時期になると私自身の大学受験のことをよく思い出します。大学受験は、勉強以外にも書類を作成したり、受験のために宿泊するホテルを予約したり、JRのチケットを予約したりと、非常に忙しかったことを覚えています。そして、未知の世界である大学受験に対して、失敗したらどうしようという不安に駆られる時がありました。不安を消すための私の方法は、不安を感じる時間がないほど勉強することでしたが、それでも不安な気持ちに襲われる時がありました。

今でも、自分が経験したことがないものや、見たことがないものに対して、不安はつきものです。しかし、私は、サレジオに来てこのような不安が軽くなる言葉に出会いました。それは、「わたしを見たから信じたのか。見ないのに信じる人は、幸いである」です。イエスの弟子の一人トマスが、復活したイエスから言われた言葉です。ヨハネによる福音書20章24~29節を紹介します。

十二人の一人でディディモと呼ばれるトマスは、イエスが来られたとき、彼らと一緒にいなかった。そこで、ほかの弟子たちが、「わたしたちは主を見た」と言うと、トマスは言った。「あの方の手に釘の跡を見、この指を釘跡に入れてみなければ、また、この手をそのわき腹に入れてみなければ、わたしは決して信じない。」さて八日の後、弟子たちはまた家の中におり、トマスも一緒にいた。戸にはみな鍵がかけてあったのに、イエスが来て真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。それから、トマスに言われた。「あなたの指をここに当てて、わたしの手を見なさい。また、あなたの手を伸ばし、わたしのわき腹に入れなさい。信じない者ではなく、信じる者になりなさい。」トマスは答えて、「わたしの主、わたしの神よ」と言った。イエスはトマスに言われた。「わたしを見たから信じたのか。見ないのに信じる人は、幸いである。」

私は、「見ないのに信じる人は、幸いである」という言葉に出会ってから、見ないものをあれこれ考えて不安な気持ちになるよりも、その考える力を希望を信じる力に向けるようにしました。未知の物に不安を感じる力があるのと同様に、見ないのに信じる力があると思います。同じ力ならば幸いになる方がいいと想い、希望を信じるようにしたところ、色々とうまく進んでいます。

12年生の受験生の皆さん、希望を信じてがんばってください。お話しは以上です。