放送朝礼 7月20日

おはようございます。今朝は、12年E組担任のYがお話しします。私は、教師生活27年目の数学教師です。21年間静岡市内の別の私立学校に勤め、縁あって静岡サレジオに来て6年目になります。サレジオに来るまでカトリックの事を何も知らなかったのですが、サレジオでドンボスコの教育やカトリックの価値観に出会い、2018年の3月31日に洗礼を受けました。ちなみに洗礼名はパウロといいます。パウロは、はじめキリストの信者を迫害するものでしたが、一転、命がけでイエス・キリストの福音を伝える者となりました。「目からうろこ」ということわざの起源である聖書のエピソードは、パウロのエピソードです。興味がある人は、後で調べてみて下さい。「目からうろこ」の他に、「狭き門」「豚に真珠」も聖書に由来します。

聖書の中の言葉は、私にとってとても不思議なものです。聖書を読んでも、自分一人だけではその深い意味に気付くことはできません。しかし、ミサの中のお説教で神父様を通して知る聖書の言葉や「心のともしび」「カトリック生活」で紹介される聖書の言葉に深い意味を知るときがあります。私は、そのような言葉に出会うと聖書を開き、付箋をはったり、マーカーでラインを引いています。

今朝はその中から、パウロがギリシャのコリント教会にあてた手紙の中の言葉を紹介します。「コリント人への第2の手紙(12章9節10節)」です。

主は、「わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ」と言われました。だから、キリストの力がわたしの内に宿るように、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。 それゆえ、わたしは弱さ、侮辱、窮乏、迫害、そして行き詰まりの状態にあっても、キリストのために満足しています。なぜなら、わたしは弱いときにこそ強いからです。

「弱いときにこそ強い」とは矛盾しているようですが、どこか安心させてくれる言葉です。私たちは完璧ではなく弱さをもっています。神は、そのような私たちを無償の愛で愛して下さいます。私たちは弱さを通して神の愛を知ることができます。私は2年前の卒業生に「苦しいときこそ希望を持とう」という言葉を送りました。神の無償の愛があるから希望を持てるのです。コロナ禍のこのような状況だからこそ、希望をもって進んでいきたいものです。お話しは以上です。