宗教朝礼 10月19日

おはようございます。今日は宗教科のNがお話します。皆さんは、家族や先生方から頼まれごとをすることがあると思います。その中に、「なぜ自分が?」と思うようなことはありませんか?そして、「なぜ自分が?できません。無理です。」と思うようなことはありませんか?

以前、勤めていたミッション系の学校で、毎朝の聖歌や宗教行事の聖歌の練習を宗教の時間にやって欲しいと頼まれました。私の前に授業をしていた先生はピアノ伴奏ができたため、聖歌のCDやデータなどで音源がすぐに手に入らない状況でした。正直、え?と言葉を返してしまいました。生まれてこの方、ピアノを弾いたこともなく、吹奏楽部に所属していたから音譜を読めるくらいで、右手と左手は同時に動く始末。胸を張って弾けると言えるのは、「猫踏んじゃった」くらいです。それなのに、ピアノを弾けない人間に、ピアノを弾いて歌を教えるという、目の前に突きつけられる現状は、一体どういうことなのだろうと納得がいきませんでした。

しかし、そんなのとき、聖書のある一節が聞こえるように、頭の中に浮かび上がりました。「私は主のはしためです。お言葉通り、この身になりますように。」 これは、大天使ガブリエルにより、おなかの中に命が宿ったことを知らせる受胎告知のシーンでのマリア様の言葉です。目の前に天使が現れるなんて、非現実的なことが起こったら、皆さんはそれを受け入れることができますか?きっと驚いたり、恐れたり、動揺を隠せないことでしょう。
「どうしてそのようなことがありえましょうか?」
マリア様も同じように、最初は驚き、恐れ、動揺していました。しかし、その後の大天使の話しに耳を傾けた彼女は先の言葉を述べます。
「私は主のはしためです。お言葉通り、この身になりますように。」

主のはしためというのは、神に仕える者という意味です。目の前の無理難題に対して、マリア様は静かに耳を傾け受け入れました。私たちも同じなのではないでしょうか?

さて、先ほどの私のピアノの件ですが、授業の空き時間に何度も練習し、右手と左手がそれぞれの動きをするようになりました。そして、簡単にではありますが、数曲の聖歌を弾けるようになりました。大人になっても、新たにできることがある。それを実感するような経験でした。目の前に突きつけられた無理難題に対して、驚き、動揺し、時に跳ね返したくなるときもあります。しかし、このマリア様のように静かに耳を傾け、その言葉を受け入れること。そこから何か変わることがあるかもしれません。

皆さんの日々の生活がより良くなるように,神様への取り次ぎを願い、アヴェ・マリアの祈りを唱えます。