放送朝礼 2月3日

今日は11E担任のYがお話しします。

私がカトリックの洗礼を受けてから丸2年が経とうとしています。毎週日曜日の御ミサの中で聞く神父様のお説教やここ静岡サレジオの中で触れるキリスト教に関係するお話から日々多くのことを学んでいます。それらは私に勇気と希望を与えてくれたり、前向きに考えるヒントになっています。今日はその中から2つの事を紹介します。

一つ目は、「お言葉ですから、網を降ろしてみましょう」です。

イエスが、漁師のシモンに「沖に漕ぎ出して網を降ろし、漁をしなさい」と言われました。シモンは、「先生、私たちは、夜通し苦労しましたが、何もとれませんでした。しかし、お言葉ですから、網を降ろしてみましょう」と答えました。そして、漁師たちがそのとおりにすると、おびただしい魚がかかり、網が破れそうになったという、ルカによる福音の中の言葉です。この福音を通して、神父様は「心の持ちよう」についてお話ししてくださいました。シモンはイエスの言葉に対して「お言葉ですが、できません」とではなく、「お言葉ですから、やってみましょう」と言い行動しました。シモンは、イエスの言葉に従ってみた結果、神の業を見たのです。私たちは日々どちらかを選んだり何かを選ぶという選択をしています。選択の連続です。聖書の中には選択する時の判断の拠り所となる言葉があります。その言葉に従って行動する時、神の業が働いてくれるのです。サレジオにはそのお言葉が溢れています。「お言葉ですから、網を降ろしてみましょう」という心の持ち方は、私の生き方でもあり、私にとって大切な言葉となっています。

二つ目は「自信を持つ」です。

「自信を持つ」とは、自分の能力や力に信頼することではない。神様が「自分」を愛してくれているから大丈夫だと「信じる」ことである。これはサレジオ会の浦田神父様から聞いた言葉です。私は、何か大切な場面に向かうとき「自信を持ちなさい」とよく言われました。しかし、「自信をもちなさい」と言われても自信が持てない自分がいました。それは、自分には自信を持つほどの能力や力が自分には十分に備わっていないという思いがいつもあったからです。努力をしていなかったわけではわけではありません。でも、自信をもてない自分がいました。しかし、この考え方を知ってから発想を変えることができました。大丈夫だと信じられる根拠がわかったからです。

今日お話しした2つは、私にとってとても大切な生き方の基盤になっています。どちらもサレジオに来なかったら得られませんでした。皆さんもサレジオに溢れている素敵な言葉に注目するといいでしょう。たくさんのお恵みが注がれるでしょう。

お話は以上です。私達がみ言葉に従い行動し、たくさんのお恵みが注がれるように主の祈りを唱えましょう。